幼少より模型飛行機に凝り、10歳で自ら設計し図面を引きはじめる。このころ、富士山よりハングが飛ぶ映像をTVで見て、「俺もいつかはこれをやってやる」と心に誓う。
飛行機を設計したい一心から高校時代は三度のメシより物理が好きになり、いろいろな理論書を読みあさりはじめる。また、物事について考えることにも目覚め、世の中で言われていることが必ずしも正しいとは限らないことに気付き始める。
高校卒業後は中日本航空専門学校 航空電子機械科にてアビオニクスを学ぶ。 同校卒業後、三菱電機 宇宙部にて人工衛星の開発の仕事に従事。CS‐3a,b(一般名さくら3号)の通信系システムの開発、NASDA(現JAXA)の大型衛星試験棟内、ソーラーシミュレーター(擬似太陽光照射装置)の電気制御系の開発、スペースシャトルにて使う電源系切替装置AHIUの開発などを手がける。 しかし、そのころ日本の宇宙開発がコスト削減に走るあまり、人員の削減と同時に、今まで築かれてきた技術も共に失われていく本末転倒な現実を目の当たりにし、将来を危惧。自ら退社する。
しばらく放浪の後、スポーツオーパカイトにて働き始める。同社ではハングのメンテナンスと営業を主な仕事としていた。 しかし、ハングハーネスに満足のいくものがない不満からEXEを立ち上げ独立。 自らが満足できるハーネスを追い求め今日に至る。 |